我が子からの突然の質問!どうして敬語で話さなきゃいけないの?

教育

みなさま、おつかれさまです!
みじんこママです

突然ですが、みなさまは我が子に「敬語で話してごらん」と促したことはありますか?
私は、あります。

3歳くらいの、まだおしゃべりが未熟な時は気になりませんでしたが、年長さんになって少しずつ気になり始めました。
来年、小学生だしな…
そう思って「です、ます」の丁寧語を教えていると、息子がひと言……

「どうして敬語で話さなきゃいけないの?」

どうして…?
Why…?

母親歴数年の私は、回答にめちゃめちゃ困りました。
そして「敬語の存在意義」を真剣に考えたのです…

敬語の必要性、みなさまはどのようにお考えでしょうか?
私にとっての敬語とは

「情報を正確に伝える手段」

です。
詳しくお話ししていきます。

敬語の必要性を考える

「敬語も使えないなんて、社会人として終わっている」

私たちはこのような言葉を一度は耳にしたことがあるかと思います。
敬語を使って話す人が、相手を尊敬しているワケではありません。逆に、敬語を使わないからといって下に見ているわけでもありません。
けれど、心の中でどれだけリスペクトをしていても、表現しなければ相手には伝わりません。
その表現方法として敬語があるのでしょう。

けれど、こう思いませんか?

「だったらもっと簡単にしてくれよ!ですますだけでいいじゃないの!」

尊敬語や謙譲語なんてややこしいものを作らなくてもいいじゃない…と遠い目をしてしまいますね。
そして、こう思うに至ります。

相手への敬意を表現する以外に、敬語の存在意義があるのではないか?と……

高校古典から学ぶ敬語

社会人として働き始めてすぐに、電話対応を任されました。

来る日も来る日も得意先からの電話を受け、正解なのか不正解なのかも分からない微妙な敬語を駆使して戦う日々です。
先輩から話し方の指摘を受け、なんてややこしいのだとうんざりしていました。

敬語なんて高校古典でしか勉強してないし、分からないよね~
そういえば、高校の古典、面白かったな~

ふと高校古典を思い出します。
私にとっての高校古典の問題は「敬語を頼りに主語を見つけるゲーム」です。
古典の文章は主語がほとんど省略されていて、誰の行動か、誰の発言かを敬語を用いて文脈で判断していかねばなりません。
思い出して、はっとしました。

これは現代の日本語でも共通しているのではないか、と気付いたのです。

日本語は主語が省略されがちな言語です。
たとえば「来たよ」という言葉があったとします。
この3文字だけでは「誰かが来たことを知らせている」のか「自分が来たことをアピールしている」のか分かりません。
けれど「来られました」や「参ります」といった尊敬語や謙譲語を添えることで、主語が浮き上がってきます。
これは非常に重要な役割をしているのではないでしょうか?

敬語のない世界

私は日本語で相手とコミュニケーションをとるのならば、敬語は必須だと考えます。
日本語という言語は主語が省略されやすく、敬語はそれゆえに発生するデメリットを上手に補ってくれるからです。

もし、敬語が存在しなければ、情報が相手にうまく伝わらないかもしれません。
主語がなければ解釈が食い違い、誤解を生む可能性が高くなるからです。
仕事でもプライベートでも、情報を正確に共有することが求められます。
だから我々は「敬語というシステム」「正確に情報を伝える手段の一つ」として学ぶのです。

私は敬語を「情報を正確に伝える手段」と考えます。
そう考えると敬語を学ぶモチベーションが上がってきませんか?
私はそう考えるようになってから敬語をしっかり学ぼうと思えました。

我が子からの質問
「どうして敬語で話さなきゃいけないの?」
に対して、私は次のように答えました。

「敬語は相手に尊敬の気持ちを伝えたり、あなたのもつ情報を正確に伝えるサポートをしてくれる一つだから、学ぶ必要があるんだよ」

みなさまにとっての敬語とはどういったものでしょうか?
子供からの質問って、原点に返るようで面白いですよね。

私のこのお話が、みなさまの気付きのひとつになれば嬉しいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

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